道産子女、海を渡る

道北出身アラフォーが海外で生活と子育てに奮闘するブログ 北海道→ミネソタ→ケルン→武漢

本当はただ欲しいだけ

文章を書くタイミングがなかなか見つからない。

布団に入ってから携帯を見る時間はあるのだからその時に書けばいいとも思うけれど、携帯で文章を書くのは苦手なのである。タイプしたいというのもあるし、文章全体を眺めにくいというのもある。

その点Twitterなんかは携帯で打つのにちょうど良くて、わりとこまめに書いてしまうのだけれど、もう少し考えてゆっくり書きたいなという気持ちもある。

iPad、買っちゃおうかな。起き出してPCに向かうというのは現実感がないし、iPadなら布団の中からも書きやすいんじゃない?それにほら、雑誌も本も読みやすそうだし。語学の勉強やお仕事の勉強も捗るかもよ?

武漢着

昨日の夜武漢空港について、アパートメントホテルに着いたのはほぼ日付をまたぐ頃だった。

今日の予定は書類などに使う証明写真を撮るのと小学校の校長先生と話すのと。

証明写真を撮るお店の建物の中にスーパーも入っていて、坊三がドリアン臭にギャン泣きした。昼と夜は学生食堂で。麺類一食100円くらい。何を食べてるのかよく分からなかったりするけれど、どれもリーズナブルで美味しい。

暑くて、ドラゴンフルーツジュースとスイカジュースを飲んだ。

 

中国語が全くわからず、秘書さんがつきっきりで面倒を見てくれている。周りの人がみんなみんな親切でありがたいなぁと思っている。

まずは言葉をなんとかしなきゃだな。食堂でもうまく頼めず、きっと今はトイレの場所も聞けない。

早く生活を落ち着けたいな。

日本滞在 そして中国へ

7月末に怒涛のドイツ撤退を終え、実感もないまま日本に帰って来てはや三週間。ふと、ケルンのお家に帰ってホッとしたいな、と思ってしまうことがあって寂しい。

住所不定(&無職)、ホームがないというのは思ったよりこたえる。

 

中国ビザ申請をしなければいけなかったりして、なかなかどっしり休むという感じでもない滞在だったけれど、気づけば時差ボケも治っていたし、術後の不快感も忘れていた。すっかり脂肪を蓄えてしまったので、落ち着いたら身体を動かして残したいところに脂肪を残しつつ引き締められたらいいなと思う。

 

早くまた、落ち着ける場所を作りたいな。

間に合わせの家具や食器はなぜか長持ちするし、捨てられないし、ものも増やしたくないから、今回は少しずつでも気に入ったものを買っていこうかと思っている。

子宮筋腫除去 腹腔鏡下手術

子宮筋腫が大きくなってしまったので、除去手術を受けることになった。

特別悪さをしているわけではなさそうだが、わりといいスピードで成長しているようなので、取れるうちに。

街中の専門医療機関にて全身麻酔内視鏡による手術で二泊三日の入院。

 

1日目

朝10時に来てね、と言われていたけれど少し早めに行った。あれよあれよという間に病室に案内され、着替え、剃毛、ヘアキャップをかぶせられて車椅子に乗せられ、ベルトコンベアで運ばれているような気分。コンタクト禁止というのも手伝って、半分夢の中にいるみたいだった。

葉加瀬太郎茂木健一郎を足したようなドイツ人担当医に簡単な説明を受け、取った筋腫が見られるか聞いてみるもやんわりと断られる。右腕に管を入れられ、何かを投与され、手術台に登ったところから記憶がない。次の瞬間には妙に明るい、手術室とは別のところでベッドに寝かされていた。

寒いと言ったら電気毛布みたいなものでくるんでくれた。

 

病室に運ばれ、オットが来た。

朦朧としながら何かぽつりぽつり話したような気がする。

お腹には大きな絆創膏が四つ。点滴とカテーテルがつながっていたけれど不快感はなくて、どれだけ水を飲んでもトイレに行かなくていいなんて素晴らしい!と思ってしまった私は普段からオムツを履いて寝た方がいいのかもしれない。

夜になって、看護師さんと一緒に10歩ほど歩く。気持ちは元気なのに思いのほかフラフラで驚いた。1日目はこれで終了。軽い睡眠導入剤を処方されて就寝。

 

2日目

点滴とカテーテルが取れた。

痛み止めを飲んでいるのも手伝って、痛みは感じないが、お腹周辺と内臓に違和感はある。腹筋を使ったり走るなど衝撃を与えるとよろしくないような気がする。

おっかなびっくりトイレまで歩いて歯を磨き、着ていた手術着から持ってきた部屋着に着替える。

同室に同じ手術を受ける方がやって来た。1日目は二人部屋を一人で使っていたので、不自由になっちゃうかな?なんて思うも、とても気さくな方で楽しく過ごさせていただいた。うっかり苗字でした自己紹介がうまく通じず、Susanと呼ばれていたが訂正しなかった。

1日目同様、痛み止めと睡眠導入剤を飲んで就寝。

 

3日目

朝9時にオットが迎えに来てくれて退院。

たくさん歩くとお腹に違和感。痛み止めが切れるとやはり痛い。

始めて術後の傷をしっかり見た。この穴から何かが入って、私の一部を切り取っていったなんて不思議で仕方ない。アブダクトされたらこんな感じなんだろうか。

自分のことなのに見えないもんだなぁ。それをやってのけるお医者さんも看護師さんもすごいなぁ。とひとしきり感心する。

子供達は再会を喜んでくれたが、彼らの勢いがこわい。全力で来られたら色々ぱっくり開いちゃいそうな気がする。

内臓が不穏な感じなのでゴロゴロして過ごす。

 

一週間後に婦人科検診。それで異常がなければひと段落。引越しで落ち着かない時期に重なってしまったけれど、慣れた国、医療機関でことを済ませたかったのでこれで良かったのだと思う。

 

 

あと22日

日本語補修校やお友達、色んなことに「ケルンで最後」がつくようになってきた。

 

今日は午後からお友達家族が遊びに来てくれた。長男坊が歩き出す前からの付き合いで、夫婦親子してたくさんお世話になったお友達。

子供達は家の前の公園で砂だらけになって遊び、私達は美味しいケーキをいただき、いつも通りの楽しい時間だったけれど、ケルンで会うのはきっとこれが最後。

 

終わりのラインが見えてから、あぁもっと話しておけばよかったとか、一緒にいたらよかったとか思う。日々の忙しさにかまけてそういうことを後回しにしがちだけれど、待っていても時間はできないし、いつ死ぬかなんてわかんないし、話したい人とはちょっと無理をしてでも時間を作るべきなんだろう。と思った。

Corpus christi 休暇

4家族でキャンプに行った。

ケルンから一時間弱走った小さな町で3泊4日。

 

前回の合宿時も思ったけれど、大人の数が増えると色んなことが楽になる。

子供同士遊んでくれるというのもあるし、家事育児の雑務も手分けできて、大人の休める時間が格段に増える。

あと、近くに気の置けない話し相手がいるというのも幸せなことだと思う。

時間に追われることなく、お空の下で美味しいものを飲み食いし、川で遊んで、夜は蛍と星を見た。一年前同様、こんなに心穏やかでいられることもあるんだなぁとしみじみ思った四日間だった。

 

シャバに帰って2日目、すでに日々の雑務に忙殺され、熱波も手伝ってくたびれ果てているところに明日からオットはパリ出張。

麺類ばかり食べることになる。きっと。

 

それにしても、どうして毎日こんなにすることがあるんだろう。ご飯と洗濯と掃除と幼稚園/小学校のあれこれ(プラス今は引越し)。仕事をしなければもう少し時間ができて色々上手く回るのかもしれないけれど、自分の精神衛生をうまく保てる自信がない。バランスを取るのが難しい。

あと43日 Chicago

友人とミュージカル『Chicago』を観に行った。

三月にオットが三週間出張で、一人育児お疲れ様という名目でなんと現金をもらった(銀行口座がジョイントだから、あまり得した感もないのだが)。

あぶく銭、せっかくだからいつもはしないようなことしてやろうと思って、ミュージカルの席を取ったのだった。

一番前、真ん中の席だったので演者さんがすごく近く、歌も好きで素晴らしかったけれど、その所作も間近でみられて、別の世界にいるような気分になった。目線やちょっとした肩の動きがキュート、そしてセクシー。ボディラインも細すぎず、でも締まっていて超好み。憧れる。。。色々落ち着いたら運動しよう。

一緒にご飯を食べて、お話しできて嬉しかったし楽しかった。

 

夜、家の外でお友達を見送る時、次男坊が車にはねられそうになった。

停まっている車の傍から、車が来ているところに飛び出していって、間一髪。血の気が引いた。

次男坊は昔から物分りが良くて、チョロチョロしたりもしなかったから、油断してしまっている節がある。考えてみたら車にはねられそうになったことがあるのは次男坊だけだし、それも一度ではない。長男は目を離したらすぐ引かれそうだから注意しているし、三男は小さいから必ず誰かと一緒にいる。

しっかりしているように見えて、次男坊だってまだ小さいのだから、もっとしっかり見ていないといけないんだなと反省。

このことに限らず、最近子供をちゃんと見られていない感じが多々あり、時間の使い方を考え直さないといけないと思っている。