道産子女、海を渡る

道北出身アラフォーが海外で生活と子育てに奮闘するブログ 北海道→ミネソタ→ケルン→武漢

あと44日 ラストタンデム/女子会

タンデムパートナーさんと会った。

お友達に紹介して頂いた方でここ4年くらい3-4カ月に一度くらいの頻度で会ってドイツ語教えてもらい、日本語を教えていた。

語学のためももちろんあるけれど、何より私は彼女とお話しするのが楽しかった。いつものカフェでいつもの時間に会って、別れ際にケルン方言のCDをもらった。

落ち着いたら中国から手紙を書こう。

 

夜は日本人女子たちと回転寿司へ。

何気ない話で笑って笑って夜は更け、楽しい夜だった。

 

引越しが近づいてきて、色んなことに対して『これで最後かな?』と思ってしまう。

寂しくならないように、あまり考えないようにしている。

帰り道、23時近くの空がまだうす明るくて、もうすぐ夏至だと思った。

あと45日 次男誕生会

補習校と職場の日本人コミュニティにMoving saleのお知らせをだしたところ、結構ものがはけた。しかも示し合わせたように欲しいものが被っておらずありがたい限り。あとは運ぶ算段をつけなくては。

 

なかなかによく働いた一日であった。

グリーンハウスで植物の種取り。天気がいいのは嬉しいが、もっと日焼け止めを塗るべきであった。絶対やけた。砂漠で働いている気分だった。

 

午後からは次男坊のお誕生会をインドア遊技場で。ケーキと果物とお土産を準備して、幼稚園と小学校から子供達をピックアップして。

お天気が良かっただけに中は貸切状態。少し暑くて汗だくになったけど、子供たちがのびのび遊べていて良かった。子供9人、遊んで遊んで、ポップコーンみたいだと思った。

 

次男坊がずっとずっと楽しみにしていた一日が、彼にとって本当に楽しい一日になったようでとても嬉しい。

うちの子たちの中にも、お友達の中にも、かけらでもいいから、思い出になって残っていてくれるといいな。

あと48日 Schulfreitag

Pfingsten休暇は来客の予定だったが、三男坊が手足口病になってしまったためキャンセルになった。というわけで今日は1日坊主三人と一緒。

 

強がりに聞こえるかもしれないけれど、その昔、まだうちに子供が一人しかいなかった時よりも、今の方が私の精神状態は良い。

ある程度大きくなって、子供同士で遊んでいてくれると途端に楽になる(もちろん三人が三人ともこちらを向いていて気が狂いそうになっているときも多々あるが)。あと、育児慣れとか土地慣れとか頼れる友人が増えたとか色々と要因はあるのだろう。

 

子供らが遊んでいる間にMoving saleのチラシを作り、喧嘩しだしたので昼食を食べ、外遊びセットを持って研究所に行って中国の書類に再びサインし、Widdersdorfの公園に行った。

今の家に越す前はよく行っていた公園。すごく広いと思っていたけれど、2年ぶりに行くと随分こじんまりして見えた。

再び子らが遊んでるのを眺めたり、写真を撮ったりしながら、楽になったなぁと思う。

お腹が空いたのでアイスを買って帰宅。ドイツではアイスカフェが其処彼処にあって美味しくて安いのですっかりアイス中毒。中国ではどうかしら。

 

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王様と家来マイスターと家来という設定。

三人できなこもち屋を営んでいるのだそう。

あと49日 Pfingstenmontag

中国ビザ申請の書類を仕上げるため、そして我が家にはプリンタがないため、家族で研究所へ。
私は書類にサインをしたのち、子供を連れて所内を散歩。池の魚にパンをやったり、木の実を取って食べたり。
気温は高くなかったけれど、湿度があって、歩いたり走ったりしてるうちに汗ばんでしまった。

木の実に触発されてか、オットがさくらんぼを食べたくなったというので近所のフローマルクトへ。
果物と子供達にアイスを買って帰宅。

ケンカしながら子供の宿題をみて、夕飯後に荷造りを始めた。
中国に送る冬物、子供服。
中国に送れないから実家に送ることにした暮しの手帖60冊。
暮しの手帖アメリカにいた頃に定期購読を始めて、気づけば10年続いている。美味しそうな食べ物の写真と落ち着いた文章が好きで、二ヶ月に一回届くのを楽しみにしている。
旬の食べ物や行事ごとの記事が、あまり流行りすたりのない内容で書いてあるので、同じ季節の号を読み返したりするのも楽しく、すっかり集めてしまった。
無事に海を渡るんだよ。ちょっとずつ、日本から中国に運べたらいいなと思っている。

あと50日 不用品整理とピクニック

お友達からのアドバイス通り

『zu verschenken(お譲りします)』の張り紙を添えて不用品を家の前に出しておいたら

思いの外何もかも拾われていって助かった。

天気も良かったし、近所の家具屋の駐車場で蚤の市が開かれていて人通りが多かったから、それも良かったのかもしれない。

まだまだ使えるもので、捨てるにはしのびなかったから、良かった。

あとは大きいものたちの行き先が決まれば楽になる。


午後から市の南にある大きな公園に遊びにいった。

お友達が声をかけてくれたのだった。

子供達もSpielplatzで遊び回れて幸せそうだったし、私もお天気の下でお友達と話せて楽しかった。

もうすぐこの町ともお友達たちともお別れ。日々の大半は引っ越しや子供の予定で頭がいっぱいになっているけれど、時折、「寂しい」が出てくる。感傷に浸る暇は全然ないから、「ここで私は幸せだったんだね」と、自分を一言なぐさめる。


此岸 彼岸

iTunesFishmansが手に入るようになったと聞いて、

学生時代にお友達に聞かせてもらっていいなと思っていたのを思い出し、検索、購入。

Baby Blueという曲だった。

聞いたのは10年以上前。でも、覚えているものだなぁ。

 

その頃既にFishmansのボーカリストは亡くなっていて

歌も声もこんなに素敵で好きなのに、もうこの世にはいないなんて、と

カーステレオでこの曲を流しながら話したのを思い出した。

 

人は死んだらどこに行くかなんてよくわからないけれど、

ただただ消えてしまうだけとは思いたくない自分もいて、

それはきっと、またいつかどこかで会いたいという微かな希望。

自らの宗教観さえうまく説明できない私の小さな祈り。

時折うっかり、元気にしてるかな?なんて思ってしまって

しまった、あの子はもう川の向こうなのだったと思い出す。

たまに夢で会っては、ちょっと嬉しくなって、すごく寂しくなって。

一緒に年を重ねられないということが、ただただ残念。

 

そういえばちょうど、お盆なんだった。

ご先祖様や亡くなった人に国境はあるのかしら。

うちにはお香しかないけれど、焚いてみようかな。

しばし、逝ってしまった愛しい人々に想いをはせてみる。

グレープフルーツちょうだい

暑くなるとグレープフルーツが食べたくなる。

横一文字に真っ二つにして、スプーンですくう食べ方で。

 

小さかった頃、祖母の家で食べさせてもらった時のことをよく覚えている。

ガラスの器に入っていて、グレープフルーツ用の先のギザギザしたスプーンがあって、

お砂糖を振ってくれた。

多分その頃の私はグレープフルーツをあまり食べたことがなくて、

その食べ方がとても特別なものに感じられて、印象に残っているのだろう。

果物にお砂糖をかけていいだなんて、きっと衝撃だったろう。

 

先日亡くなった祖母にも、祖母に10年以上先だって亡くなった祖父にも、

えらいこと可愛がってもらったなぁと、今になって思う。

ずっとそうだったから、それが普通のように思ってしまっていたけれど

時折思い出す彼らとの記憶を今の私の視線で見ると

端々からその愛を感じる。

それはもう一方の祖父母も同じで、両家の家風は随分違っていたけれど、

私も弟も大切に見守られ、育てられたのだなぁと思う。

そういう記憶があることで、私は少ししっかりできている。

おじいちゃんおばあちゃんが大切にしてくれた私を、ぞんざいに扱ってはいけない。

順番がちょっとおかしいかもしれないけれど。

 

今年の夏は暑くて、毎週のようにグレープフルーツを買っては冷蔵庫に入れている。

時代のせいか、住む場所の違いか、今手に入るグレープフルーツは果肉が赤くてお砂糖をかけなくてもじゅうぶん甘い。

私がグレープフルーツを切ると、次男と三男がどこからともなくやってきて、

小鳥の雛のごとく口を開けて待っている。

スプーンですくった果肉を次から次へ彼らの口に押し込む、それはそれは幸せな時間である。

きっとすぐ、自分で食べられるようになっちゃうんだろうね。

彼らが大人になった時、こんな風にグレープフルーツを食べたことを覚えているのだろうか。